10/12  私はパンを焼いてあげました。

だからあなたも私にパンを焼いてください。


考えさせられるといえば、考えさせられる言葉です。
なんとなく、ふと思い出した言葉ですが、数年前に聞いたときは深いことは何も考えずに
 (´_ゝ`)フーン
って流してたのですが、いま聞いてみると「ぅーん……」って悩みます。


私は「無償の奉仕」なんてありえないと思ってます。
もちろん、物質的な報酬を得ない奉仕って言うのはありますよ?
でもその場合、奉仕の対価として「奉仕の満足感」だけは得ているはずです。

無償の奉仕は自発的に行うべきであり、自発的に行う以上は不快な結果なんか認めたくない。
不快な結果は奉仕の失敗と同義で、失敗ならばそれは結局、ただの徒労。

ならば成功とは?
つまるところ、自分が満足したならば、それが成功なのでありましょう。
誰か(奉仕対象or場合によっては第三者)が満足した姿を確認できれば、自分の行動が報われた、と満足できるから、結局自分が満足するのです。

「無償」という言葉を厳密に追求しすぎて、最早難癖をつけているのと変わらない気がしてきましたが、
つまり、私の考える「無償の奉仕」とは
 「奉仕者の自己満足に過ぎない。たまたまその行動が対象者の利益に合致し、その行動を完遂出来た時にのみ無償の奉仕と呼ばれる」
のではないかと自分の中で完結しております。


しかしまぁ、精神的に得るものなんぞ本人以外にわかりようが無いので、得てようと得ていまいと他人からすればどっちでも構わないのです。
なにを得ようと「いい経験でした( ´ー`)」って言っちゃえば分からないですしネ。


どんなに良い人だって、自分が嫌な事を何度も何度も続けるなんて出来ないですよ。

10/30  己の欲せざる所人に施すなかれ。

孔子さんのお言葉。
「自分がされたら嫌なことは、人にしちゃいけません!」って意味。

わたしは度々思い出します。
特に自分がそんな目に遭った時とか。

孔子さんの言葉だと知る前に、マンガか何かで読んで知っていたのですが
結局、二十数年生きて心のいちばん底にあるのはこの考え方かもしれません。

自分のやや過剰かな、と思えるような潔癖具合はやはりこの言葉の影響も大きいでしょう。

まぁ結局、「私がやらないんだから、あんたもやるな!」ってことでしょうかね