12/21  駄文



12/21  駄文

ふと気がつけば、私はもう二十七歳になっていた。

二十七歳。

世間では、ようやく大人の世界に慣れ始め自分の足を使って歩き出す年齢だ。

子供が子供で居られる最後の猶予期間(モラトリアム)――――で、あるはずなのに。


今の私のどこを見れば大人の片鱗を垣間見ることが出来るのだろう。


きっと普通の人間ならば、学校を卒業し社会に出て、出会いと別れを乗り越える頃には自然と成長出来ている筈なのに。
三十歳を迎える頃には良くも悪くも磨れてきている頃合いなのに。

私はこれまで人生観が変わるような出来事をついぞ経験せずここまで来てしまった。
それもすべて、自身の臆病な性分のせいだとはっきりと自覚している。


変われるチャンスはいくらでもあったかもしれない。誰かが手を差し伸べてくれたこともあったかもしれない。
けれど、その全てを私は拒否し、躱し、遠ざけた。
それはつまり、自我が芽生え確立されたあの頃の自分と何一つ変わっていないという事だ。
学生時代からずっと変わらないヘアースタイル、服の趣味、いつまでも広がらない行動範囲、価値観、そのすべてが自分を子供たらしめている。

時々であれば、子供であることも悪いことではない。
けれどそれは大本が大人であることが前提だ。四六時中、子供ある大人など始末に負えない。

私が本当に子供の頃、一度だけひどく子供っぽい大人の姿を見かけた記憶がある。
見間違い様のないほど老けた顔、無様に肥え衰えた体躯、一目で大人であると判る筈のその人はまるで子供のような格好をしていた。
まるで子供のように落ち着きを持たず、大人のように場を弁えることもせず、ただひたすらに見苦しかった。

もしかしたら拠ん所ない事情があってああだったのかも知れない――それは今だからこそ思うのであって。
その時はただ、ああいう大人にはなりたくない、そう思うだけであった。

あれから十数年以上たった今、私はあの大人と同じステージに上がりかけている。



大人に成るという事は

変化を望み受け入れるという事は

それは――――とても勇気の要ることだ。



最後の猶予期間を迎えた私に――その勇気はまだ、無い。



追伸。
前回言っていた試験は結局間に合いませんでした。( ^ω^)