7/30  I am going to MISOJI WORLD.



7/30  I am going to MISOJI WORLD.

とうとう30歳である。
ついこの間、三十路が云々と喚き散らした記憶があるがアレから一ヶ月以上経っていたのである。体感時間的には2週間も経っていないのである。
まさに驚きである。
この先の人生を予見させるような出来事である。

最近はとみに意欲減衰著しいものがあるがこれは先に触れた所謂人生の節目なるものを迎えたことによる憂鬱感からなるものであろうか。
人生とは山あり谷ありと先人たちはこぞって言うが、よくよく考えてみると山も谷も進むに容易なものではなく一歩踏み外せば等しく転げ落ちるのみである。結局のところ人生とは苦難で出来ている。
確かに山も谷も無いとなると残るは全方位地平線だけが見える草原をただひたすらに歩き続けるような人生となってしまうのだろう。そこには山の頂から見下ろす風景の感動も谷底から見上げる切り立った崖の険しさも見ることは出来ない。あるのはただ"飽き"だけである。

山や谷を望んで享受しようという人間は稀であろう。
苦難などというものはたまにあるから有難いのであってどんなものにせよそれが続けば日常と大差なくなってしまう。

では、現状に立ち返り己の有り様は如何様であろうかと自問してみれば、これまで要所難所の区別なく山も谷も恐れ畏れて避け続け迷い迷った挙句、ついに己の欲する所さえも不明になってやいないかと考え至った。
己の持つ全てに於いて何処か他人事めいた風にしか感じられないこの気質は、実は己を見失っているからこそ顕在しているのでは無いだろうか。
だからといって今更改めようという気概も湧いてこないのだから困ったものである。

盆も正月も誕生日もクリスマスも平日と変わらずきっと某かで死ぬその時までずっと変わらないのではないかと思う。
むしろ最後まで貫き通せればこそ、一本芯の通った人生であったと今際の際に評することが出来よう。

それが幸せな人生であるかはさておいて。